scrap book

日々の備忘録程度にのんびりやっていけたらなと思ってます。

三十路が始まる。

 「三十路」という言葉を初めて聞いたのは、フジテレビあたりの恋愛ドラマをみたときだったような気がする。
「もうすぐ三十路でしょ〜恋愛しないと!」的な啓発のセリフだったと思う、今のご時世でも見かけそうだが時代に合わなくなった概念でもあるように感じる。

 メインキャストのほとんどが1993年生まれのドラマ「コントが始まる」もまた、行間で「三十路」という概念を匂わせてくる作品だ。社会的に大人と認められるのは20歳を迎えた時だけど、そこから始まる10年間で合格と脱落の基準が曖昧なイニシエーションを受け、30歳で後戻りできない「オトナ」になってしまう。20代後半に入ると、30歳という時点がその前後を大きく分ける巨大なマイルストーンのように見えてしまうのだ。

 春斗たちが「マクベス」を結成するのは、高校時代。現実と非現実で見たもの、聞いたものから世界の解像度が一気に上昇する時期で、「大人の自分」を想像するには隔たりが遠すぎる。前向きでも後ろ向きでも柔らかい全能感に包まれている時期ではないだろうか。
 学校を離れて社会に触れると、思うように届かない壁、本当に道理的に正しいかわからないけど向き合わざるを得ない仕事が増えてくる。しかも、早熟な同世代が次々と頭角を現す。こうした過程は古今東西で頻繁に見られる風物詩のようなものだけど、今はネットがあるし、成功の定義が広がっただけにタチが悪い。各方面で同世代が称賛を浴びている瞬間だけ次々と飛び込んでくるし、実態が伴っているかわからないけど甘美な提言、価値観が洪水のように押し寄せてくる。時代の要請に伴って太鼓判を押され、ぐんぐん伸びて複雑に絡み合った「個性」は、社会という荒波(安直な表現だけど)に揉まれて流木のように丸くなっていく。

 1993年生まれが今迎えている「28歳」はなんというか、危うい時期だ。「27クラブ」という概念もあったけど、解像度が上昇する一方だった世界が馴染んできて、停滞する感覚、全能感が薄れていく感覚がある。今夢中になっているものがあればいいし、すでに何かしら人生の達成感を覚えてしまうことにも良い面があるのかもしれない。だけど、まだ何者にもなれていない感覚を抱えてしまうと、退路が見えてしまう。もう区切りをつけて別の道を歩むべきか、理想を捨てるべきか、社会に迎合するべきか、諦ることで得られる安定(それすら霞んでいるけど)が魅力的に見えてしまう。30歳まであと2年、今ならやり直せるかもしれない。本当は、「1年」という期間なんてものすごく一瞬で過ぎてしまうことは知っているけれど。

 ま、じゃあどうすればいいかなんて自分にはわからない。答えは人ぞれぞれだし、選択が正しかったのかジャッジするので自分自身、ジャッジできる根拠が見つかるのはきっと先の話だ。よく「後悔しないような選択を」と言われるが、どんな道に進んでも何かを捨てる以上後悔は絶対残る。選んだ道で拾い集めるのは、別の道を選ばなかった言い訳なんじゃないだろうか。

 
 ドラマの感想というには自分語りが過ぎるけど、同世代としてはこんなことを思った。もっと楽しいことだったりフワフワしたこと書きたいな。

2021年4月13日

 久々に更新する。

 正直何か書こうというネタがあるわけではない。むしろ、ネタがないということをネタにどこまで書けるか試してみようという心境だ。
 当たり前だけど、文章はネタがあって初めて成立すると思う。読みやすさだとか、膝を打つような表現が文章の質を底上げする部分はあれど、面白い文章はまずネタが面白い。多分、普通に話すだけでも面白い内容なんだけど、口下手だったり、ついつい余計なことに言及してしまいがちな人々(おそらく僕自身も)にとっての救済措置が文章なんじゃないだろうか。

 仕事柄、文章を書く機会は多いけれど、どれも好きで書いているような内容じゃない。「こういうネタで書いてみて」とか「(何か書かなければいけないなら)こんなことを書いてみたいんですが、どうでしょう」といった起点でネタを仕入れ、文章として成立するような要素が集まったらいよいよ書き始める。今パソコンの前に向かっているように、次どんなことを書こうかとのんびり悩みながらキーボードを叩く時間のなんと贅沢なことか。考えながら書いていくので構成は雑だし、いつもより仕上げるのに時間もかかるけれども、なんだか解放感に満ちていて気楽な時間だ。

 「とりあえず書いてみる」という作業は、なんだか散歩に似ている。例えば「隅田川沿いを散策してみよう」とかざっくりとしたテーマで歩き始めると当然道のりはあてもないわけだけど、両国橋を通過したのでついでに国技館を眺めておこうとか、厩橋に到達して蔵前の雑貨屋を探訪してみようとか、気付いたらもう浅草にたどり着いたので浅草寺周辺に移ってみようとか色々と思いつくうちに歩数が重なっていって時間も過ぎてゆく。とりあえず書いてみると、なんとなく思考を巡らせることになるので「散歩に例えてみよう」とか思いついてみたりするわけなのだ。
 ライフワークの隅田川散策で言えば、そろそろ日が暮れてくる頃合いだろうか。日が暮れれば、往路でみた景色もまた一味変わってくる。本所にあるライオンの本社ビルに設置された「LION」のネオンパネルが点灯する時間帯が季節によって変わっていることに気付いたり、両国橋から見えたLIXILのネオン看板が撤去されたことで夜景が少し寂しくなったなと感傷的になってみたりする。ここまでの文章を折り返し地点として見返してみたけれど、「思ったより書けるもんだな」というくらいの感想しかない。超高速で面白みの無い復路である。

 ただまぁ、今考えていることを特に推敲せず書き殴るのは大変心地よい。(多分)ハレーションが起きるような要素もない。なんちゃってアウトプットができたので頭もスッキリしている気がする。次回はドラマの感想なり好きな音楽なり映画なり、物申してみたいことに触れてしっかりとした記事を投稿しないといけないような気もしてくるけど、それよりもなるべく短いスパンで更新できることを目標に掲げておこうかと思う。

距離感と時代とポップと

 世の中随分変わった。
 最後にしっかりと更新したのは、令和を迎えてまだ2ヶ月だったか。京都アニメーションスタジオで発生した放火殺人事件が発生した時期だ。あの頃も再興に向けた募金が行われていて、僕も寄付をした。そして2020年、また僕はエンターテインメントに寄付している。というか、寄付せざるを得ない気持ちになるような未曾有の出来事が世界を覆った。

 コロナ禍。
 ほんの3ヶ月前までは海外で発生した未知のウイルスという程度だった。かつて流行したSARSやMERSと同じ認識。気がついたら収束しているだろうと、新型インフルエンザだって日本でも流行した(らしい)けど、(らしい)という感覚だった。当時の僕は高校1年生。ニュースに疎かったとはいえ、ほとんどの高校生はそんな受け止め方をしていたはずだ。
 それがどうだ。今やコロナウイルスと言われてピンとこない高校生なんかいないだろう。SNSの発達で、良くも悪くもかつてなく急速に広大に、情報が伝達されるようになったことも1つの理由だが、何よりウイルスは日常に侵食し、学校に行けないどころか家すら自由に出られないという最悪の形で、呼吸と同じくらい無意識に実行されていく毎日をすっかりぶち壊してしまった。
 東日本大震災もそうだった。僕は期末試験終わりの教室であの大地震に遭遇し、生まれて初めて学校に宿泊した。そのまま期末試験も中止。最初で最後の経験だった。だからこそ、鮮明な思い出として頭に焼き付いた。大多数の高校生にとってはそんなもんだ、災いは経験することで初めて頭に焼き付いてしまう。

 「立ち直ろう」と鼓舞するステージすらいつ訪れるか、そもそも訪れるかすらわからない現在において、懐かしいバトン文化が復活の兆しを見せている。とは言っても、すでに「バトン疲れ」なるワードも飛び出し、どうも一時的な流行で終わりそうだ。なぜネット空間で繋がろうとする動きが増えたか、これは単純で、個人の力では制御不可能な出来事によって物理的に断絶したから、距離を離されたからだろう。これまで複数発生していた天災では、中心には被災地があった。「pray for〜」という言葉を元に支援キャンペーンを展開する動きが度々発生していたが、この言葉は「被災地」と「被災地じゃない地域」との隔たりを暗示するニュアンスを孕んでいたように思う。まぁ当たり前だし、あえて隔たりをピックアップするのもひねくれているとも思う。
 ただ事実として、このコロナ禍においては「被災地」という概念はなくなってしまった。全員が被災者で、全世界が被災地だ。そこにおいては、「与える」アクションより「共有する」アクションの方が現実味があるのだろう。その状況にマッチした文化がバトン文化で、液晶画面の向こう側にいるスターたちは、向こう側の世界で繋がりあることで、私たちに「繋がり」の機運を与えてくれた。しかしこのバトンが疲れるというのは大きな誤算で、良かれと思って始めたバトンに「ムラ」というネガティブな要素が含まれていたこと、しかもこのバトンは誰もが生み出してしまえるという無邪気な暴力性を潜めていたことが改めて明るみに出た。かつてブロガーやmixiユーザーなら多くがモヤモヤしていたことだろうが、それが顕在化してしまったということだ。この先もバトンは発生するだろうけど、この瞬間こそバトン文化に終止符が打たれたように思う。

 同時に発生したミームが、星野源による「うちで踊ろう」だ。1分にも満たない曲だが、明らかに、ゼロ年代に失われたポップソングの再来だ。同時に、確実に20年代を代表するポップソングの1つだろう。先のバトンと比較して、このミームには自由がある。開かれた素材に自分なりの味をつける。強制や依頼は発生しない。開かれた文化だ。当初は思い思いに星野源とセッションする形で広まったが、今となってはコラ素材としての一面すら持ち始めた。こんなご時世にいうのもなんだが、まるでウイルスのようだ。あえてそう表したいのは、もちろん星野源が2018年に発表したアルバムタイトルが「POP VIRUS」だから。さすがにこんな展開こそ予想はしていなかっただろうが、恐ろしく示唆的なタイトルになってしまっただけでなく、その概念を体現するような作品を生み出してしまった。こうして文章に起こしてみると少し震えるような出来事だと感じてしまった。これが、非日常だから起こり得た流行で終わるのか、最悪の形で幕を開けた20年代のポップのあり方を示すコンパスになるか、それは受け手のリテラシーにかかっているのではないか。
 そう、次に重要なのはリテラシーだ。先月、安倍晋三首相が投稿した「セッション」は大炎上した。ポップソングの政治利用であるとしか受け取れない、小泉純一郎氏出演した自民党CMにX JAPANが流された頃から変わっていない。ファンであるぶん小泉氏の方が幾分かマシであるくらいだ。もう少し遡ればイギリス映画「傷だらけのアイドル」が指摘していたメッセージから変わってすらいない。それがポップの宿命だとは考えたくない。
 昨年の紅白歌合戦を眺めていた瞬間、その質はそれぞれだろうが多くの人が抱いたであろう高揚感、それはすっかりぶち壊されたがポップソングは形を変えた。皮肉かもしれないが、バトンは受け手に繋がれてしまった。

約1年のハードル

 長続きしない性分で、約1年もの間、記事を更新しないまま放置してしまった。
あれを書こうと思い立ったことは一度や二度ではない。書き始めたことも少なくない。が、どうも下書きしたまま腐らせてしまう。実は今も書きかけの記事に頭を悩ませている。
 なぜ放置してしまうか。書こうと思うことのハードルが高すぎるからだ。「ポップソングが描いてきた距離感の変遷」についてまとめていたのだが、長すぎるよ。当たり前だ。いちいち歌詞を引用して講釈をたれれば日が暮れるどころではない。仕事かってくらいだよ。こういう類の記事をきっちり書き切れる人は大したもんだ。それだけで「興味がありました」だけじゃないってことだ。実は職業として文章を書いているのだが、いわゆる「どうしたらライターになれるか」という問題に対する答えは端的に「ちゃんと文章を書き続けて、締められるか」というくらいではないか。メディアの数だって多いので、少なくともライターを名乗るハードルは以前より相当に低いはずだ。
 ブログなんてそこまで肩肘を張る必要はない。そうだろう。だってこんなブログ何人が見るだろう。バズってからは責任が伴ってくるからある意味記事の更新も仕事になる。「バズりたい。認められたい」と思うのは当たり前のことだが、そうなってしまった先にある読まれる記事を書き続けなければならない責任は、それはそれで窮屈なものだろう。まぁバズってから言えって話ですが。
 そんなわけで誰も読まないブログを運営できているうちは気楽に、気が向いたら更新しながら、備忘録的に続けていこう。でも、やろうと思っていることはちゃんとやることにしよう。
 次回の更新が来年になりませんように、自戒を込めつつ。

多幸感をもたらす音楽について

日曜日は急遽仕事が入り、休日が潰れてしまったので本日が代休。
 予定はないが平日の休みは幸せだ。世の中的には普通に働いている日だから対比、で幸せなんだろう。林家正蔵はとある番組で「世間様に申し訳ねぇ」と言いつつ一杯やるらしいが、要はそういうことなのかもしれない。
 もう随分晴れ間を見なかったが、今日は久々に晴れていたので隅田川沿いを歩き回りながら好きな音楽を聴く。こうしていると考え事も捗る気がする。哲学の分野には逍遥(散歩)学派という形態があるそうだが、この時代において自分が思いつくことなど、大抵は先人がいるものだ。前人未到の領域はやはりインターネットの中にある。そう思いたるにはまだ気が早いだろうか。
 歩き疲れて立ち寄った蔵前の喫茶店で久しぶりにレモンスカッシュを飲んだ。語源とは関係ないそうだがスカッとするな。ちなみにスカッシュの語源は「握りつぶす」という英語の動詞、squashから来ているんだそうで。さいですか。

・多幸感について
 音楽が好きだ。好きなジャンルは色々とあるので、今後も触れていくことはあると思うが、自分が音楽に何を求めているのかというと、「多幸感」であることが多い。一言「多幸感」といってもその本質には色々ある。浮遊感だったり、救われる感じだったり、トリップする感じだったりチルだったり、物語的というかドラマ的なものもある気がする。それぞれに共通する感覚が多幸感であることに違いはない。

 それぞれの多幸感について、象徴的な曲を挙げつつ考えてみたい。
 残念ながらちゃんとした音楽の知識が乏しく、専門的な言葉を使えばもっと端的に表現できる部分も多々出てくるだろう。
 色々勉強しないといけないと思わされてばかりだ。

 まず「浮遊感」について。
 これはperfumeの曲なんかがわかりやすい。
 3rdアルバム「⊿」に収録されている「zero gravity」は初っ端からタイトル通りの無重力感で、初っ端から浮きっぱなしだ。
 2番が終わってから入る間奏は、音程をぐにゃぐにゃいじる部分。ライブの映像でも確認できるように、振り付けでも旋回しているかのような、フニャフニャとした遊びの飛行をしているように感じられる。こういう無重力を自由自在に操れるような余裕というか、非日常感が多幸感につながっている。

Zero Gravity

 

 続いてシングル「ポリリズム」に収録されている名曲「SEVENTH HEAVEN」を挙げてみる。天国の最高位を意味する言葉と好きな人への思いと絡めた歌なのだが、こちらは最初から浮遊しているというよりは引き上げられる感じだ。サビに入る直前、まさに天にも昇るような気持ちが歌詞に表現されていて、歌い方も一定の音程を保っていたところから徐々に上がっていく。多分この感じが引き上げられる感覚を助長しているような気がして、サウンドも一定のリズムを保ちながら音程が上がって来ている。何かに引っ張られるというより体がふわりと浮くかのような、そのまま天国へ召されていくような多幸感がある。まぁ歌詞でも思い切りわかりやすく説明してくれているのでいうまでもないという感じなんだけど。
 

Perfume SEVENTH HEAVEN

 ちなみに「浮遊感」の亜種的な多幸感に「夢心地感」があると思っている。これについては後述で。


 続いて「救われる感じ」について。実は今日歩きながら思いついた表現だ。
 その時聞いていたのは、アニメ「SHIROBAKO」の1期エンディングテーマ、「Animetic Love Letter
 以前ラジオで星野源が「土曜の夜感」と表現していたはずなんだけど、これには本当に同意というか、初めてラジオで聞いた時にめちゃくちゃハッとさせられた。同アニメを見始めた当時も翌日が休日だったので、そういう高揚感は覚えていたんだけど、なんで「フライデー」じゃなくて「サタデー」なのかということが意外と大臣じゃないかと思ったりする。「フライデーナイト」というと、Katy Perryの「Last Friday Night」のような、Thank you God It's Friday的なハイなイメージが普遍的にあるような気がする。仕事や学校終わり、同僚や友人とハメを外すイメージ。一方のサタデーは、もう少し落ち着きがある気がするんだよな。加えて控えている日曜に思いを馳せワクワクする時間。悲しいかな日曜が来ると寂しくなるけど。


Animetic Love Letter - 桃井はるこ

 そしてなぜこの曲に救われるのかといえば、大サビの後ろで鳴っている鐘の音がその理由でしょう。宗派のある学校に通っていたわけでもなし、自分の人生において宗教から強い影響は受けていないけど、やはり鐘の音には福音的なものを感じる。あと祈りのポーズにも救済の印象を抱くことは多い。ももクロの「サラバ愛しき悲しみたちよ」に出て来る祈りのシーンとか。こう考えると音楽の中では結構単純なシーンにシンプルに多幸感を覚えることが多いのかもしれない。

【ももクロMV】サラバ、愛しき悲しみたちよ / ももいろクローバーZ(MOMOIRO CLOVER Z/SARABA ITOSHIKI KANASHIMI TACHIYO)


 次は「トリップ」。これはやっぱり電子音楽にもたらされることが多い。一瞬電気グルーヴの「Shangri-la」が頭をよぎったがそういうのではなく、もっと単音の数が多くて圧倒されるうちにトリップするような、なのでTempalay的なサイケ感ともまた違う。とはいえサイケ感も1つの多幸感だろう。これは揺るぎない。
 例えばPSYQUI「Still in my hear feat. ぷにぷに電機」とか。というかPSYQUIの曲は高確率でこの枠に入って来る。一方でボーカルはゆっくりとした歌い方をしている場合が多くてこのギャップがなんというか一段といい感じ。yunomiの曲も全体的にこのトリップ感に近い感じあるな。つまるとこfuture bassということだ。ちなみによくいう「kawaii」も個人的にはこの枠。「かわいい」を愛でるようなニュアンスで用いるならば、「kawaii」はトリップというような区別がある。

PSYQUI - Still in my heart feat. ぷにぷに電機 // Lyrics [CC]


 電子音から得られる多幸感ということで登場するのが、前出の「夢心地感」。こちらはUjico*/Snail’s House「Lullaby」なんかかなりいい具合に特徴的だ。スーパーマリオ64「かいぞくのいりえ」もこのジャンルに入ると思っている。だいぶ水中の印象は強いけれど、これは幼い頃にゲームをプレイしていた刷り込みもあるかもしれないし、まぁそもそもが水中をイメージした曲だからな。とはいえかなり夢心地感がある。のんびりしていると体力削られて死んでしまうんだけども。

Snail's House - Lullaby


スーパーマリオ64 BGM - かいぞくのいりえ


随分長くなってしまったのでここで一度区切ることにします。

雑記 7月6日

 何か書きたいことがあるわけではないけど、自由に文章を書くという機会も減ってきた。
大したことはかけないが考え方のアウトプット程度に記事を残してみる。

 ・最近
 社会人3年目、大学時代をもったいなく過ごしていたなぁと思うことは増えてきた。仕事にある程度慣れて落ち着いてきたからということもあるだろう。
 例えば読書。最近電子書籍を使い始めて、気軽に本を買うようになってきた。一方で、読書に向ける時間は案外少ない。通勤途中、帰宅後、読書に集中すればそれなりの時間は費やせるが、映画も見たいしラジオも聴きたい。ラジオを聴きながら読書はできるがなんだかんだで頭には入ってこない。ネットサーフィンくらいがラジオのお供にはちょうどいいかなという感じ。
 1966年の映画「他人の顔」を観た。安部公房が1964年に発表した同名の著作が原作。美術に建築家の磯崎新が携わっているからなのか、モダンチックな舞台がたまらなく良かった。フェデリコ・フェリーニ監督の「甘い生活」が好きで、それに近いセットだったんだよなぁ。ああいうのがきっと好きなんでしょう。で、実は「他人の顔」を観てようやく安部公房に関心を持つようになった。早速ブックオフで「砂の女」やら「箱」やら定番の作品を買い込んだわけだけど、なかなか読み始められない。というのも、めちゃくちゃ気楽に読めるけど分厚い「ブラスト公論」やコンパクトだけどじっくり考えながら読んでいきたい「ヒットの崩壊」、「十代に共感する奴はみんな嘘つき」「愛がなんだ」「編集者という病い」も残っている。読みたい本はキリがなく現れるけど、多くは大学にいた当時から販売されていたもの。なんで今まで読んでこなかったのか恨めしくなる。
 映画もそう。「アベンジャーズ/エンドゲーム」が公開されていたので、MCUは急いで追いかけた。一昔前に比べればまぁまぁの勢いで映画を観ているが、いくら追いかけても気になる映画は際限なく増えていく。ラジオを聞いていると、好きな文化人やらタレントやらは大体めちゃくちゃ映画を観ていて、番組中に「あ、これ観てないわ」と思う作品はめちゃくちゃ多い。とにかくキリがないが、よく考えれば好きな文化人だって40代以上の方々が多い。自分はようやくアラサーの境界線に一方踏み出そうとしてる程度なのだから、時間的な隔たりは果てしなく広い。その辺と比べてしまうとどれだけ走っても光が見えてこないトンネルに入るようで苦しくなってしまう。というわけで今気になる映画、本をがむしゃらにできるだけ吸収してその時々に心震わせてればいいやと気楽に構えることにした。とりあえず今は「ストレンジャー・シングス」シリーズを追いかけることから。

 ・vaporwave
 映画、本と比べれば音楽はまだ追えている方だと思う。とはいえ際限なく興味深い音楽は広がっていく。今気になっているのは、vaporwaveというコンテンツ。ざっくりといえば、ひと昔前のPC画面や情景、CMを駆使しながらサイケデリックな映像を作っていくような感じ。専門家でもないので説明が極端だというご指摘は甘んじて受け入れるから勘弁してくださいという感じである。とはいえちゃんと勉強しないとな。頑張ります。
 昔の映像が大好きで、ジャンルの存在を知る前から昔のCM全集みたいなやつをぼんやり観ていた人間なので、とにかくvaporwaveはど真ん中ストライクという感じで、その辺ふらついてる時に写真を撮ってはvaporwaveっぽく加工できないか試行錯誤したりもしている。なので色々言いたいことはあるが、とりあえず触れてみたいのは時代を象徴するような映像の雰囲気について。80年代、90年代、もちろんそれ以前も各時代の映像にはそれっぽい味が出ている。特にCMが顕著で、当時メインストリームを駆け抜けていたような映像、演出、音楽は時代が変わると急にその時々の雰囲気を帯び始めてサブカルチャー受けするようになっている。個人的に衝撃だったのは、藤井隆が2017年にアルバム「light showers」を発表した時に公開した映像で、収録曲をゼロ年代のCMっぽい映像に乗せて紹介するものだったのだが、まさに映像が「ゼロ年代的」だったのだ。小学生から高校生になる間過ごしたゼロ年代は自分にとって常に最新で、80年代や90年代に覚える懐かしさを帯びてくる日はいつかくるだろうとは思いつつ、その「いつか」は途方もなく先に見えてくるものだと思っていた。中学、高校に最新だと感じていたものにもノスタルジーを漂わせる雰囲気が漂い始めたということだ。
 気づけば2010年代も終わろうとしている。この10年間は特に最先端を感じることが多かった。この期間にもノスタルジーを感じる空気感が漂い始めるのだろうが、想像がつかない。そんなことを考えていたが、先日観た映画にその片鱗を見出した。いわゆるSNSの炎上だ。特定の事件や問題が浮上した時、SNSは関係者の個人情報洗い出しに躍起となる。明らかに許せない人物がいれば、ネット世論は総力を挙げてボコボコにする。そんな感じの「お祭り」で、もちろん今でも何かあるたび開催されている。ただ、今の時代からすればこの流れはもはや自然なこととして定着しているようにも思える。もちろん善し悪しは別の話。この「お祭り」をセンセーショナルに演出する表現、これは10年代独特の文脈なんじゃないかと思うのだ。要するに、もう20年代に突入しようかという今、センセーショナルに演出されてもなんだか寒くなってきている。もう少しすれば、時代性を帯び始めてノスタルジーを喚起させますよという前兆なんじゃないだろうか。この文脈が「ダサい」「寒い」から「味わい深い」に切り替わるまでにはもっと長い時間寝かせておく必要があるとは思う。十分な醸成が完了した頃には、こういうムーブメントはもうなくなっているといいなぁなんてことも思う。

とりあえずこんなところか。すぐ飽きる予感しかないけど、できるだけ短いスパンで続けていきたいな。

「ボヘミアン・ラプソディ」の余韻にノリきれない

 「酒の席で政治、宗教、野球の話題を避けろ」と誰かが言う。なかなか無難なアドバイスだが、ごく個人的に期間限定で上記3つの仲間入りを果たしつつある話題がある。
 そう、「ボヘミアン・ラプソディ」である。

アカデミー賞授賞式も終わり、あの年末年始に渦巻いていたような熱狂も鳴りを潜めた。
ちょうどその頃出会って、せっかく意気投合できたのにこの映画を巡って軽く喧嘩してしまったあの人からはもはやLINEすら帰ってこない。
何を言ったところで誰も興味はないだろうが、ねちねちとどうでもいいことを意気地もなくここに書き留めておきたい。
今から書く文章は、あくまで「俺は悪くない」というスタンスを取り続け、誰か共感してくれという拙い希望まで添えた独身男性の情けない叫びなのだ。


 言わずと知れたイギリスの伝説的バンドの1つ、クイーンの遍歴をボーカルのフレディ・マーキュリーを中心に辿ったこの映画。詳しい説明は割愛するが、次々と押し寄せる名曲やラストのライブシーンが観客を圧巻し、鑑賞後の余韻は多くの観客にとって劇場を後にした数日後にも残っていたように思う。
 というのも、居酒屋に行くとまあまあの頻度でクイーンの歌が合唱されてたり、映画について熱く話す声が聞こえてくるのだ。過去3回の酒の席を振り返ると、酔っ払った深夜3時すぎに「we will rock you」のアレを繰り返しながら野毛の街を闊歩する場面があったし、久しぶりに大学の友達に会ったら突然「somebody to love」を歌い始めた。真顔で単調に歌い始めるからマジで動揺してしまった。返事に困ってたら、若干後ろの別席から「ママ〜」と呼応する声が聞こえてきた。昨日も繁華街を歩いてたら「ボヘミアン・ラプソディだよお前!」と陽気な声が聞こえてきた。

ノリきれない。
性格的な問題だと言われたらそれもあるが、なぜ乗り切れないかを正直に申し上げるならば、高校生の頃クラスの片隅で1人QUEENを聴いていたからだ。
きっかけは実に高校生らしいもので、ジョジョの影響だ。
iPod mini同人音楽を聴きながらガラケー2ちゃんねるまとめを読み、卑屈に笑っていた高校1年の僕は、ネットでかき集めた面白い漫画情報に突き動かされるようになんだか通っぽい漫画を読んでいた。「この漫画がすごい」で取り上げられていた「アイアムアヒーロー」、浅野いにおの短編集、ヘルシングをきっかけにヤングキングアワーズの存在を知ったのもこの頃だった。
どこにでもいる背伸びしたがりなクソサブカル気取り高校生。ジョジョにたどり着くのも必然だった。
物語にスタンドが登場し、元ネタの多くが洋楽から来ていることを知れば当たり前のようにCDを借りだす。両親が洋楽好きで、家にはいわゆる名盤がそれなりに積んであった。ようやく両親の趣味と歩調が合って家が宝箱に見えてきた。
そんな環境だからレッドツェッペリンビートルズピンクフロイド辺りはすぐ手に入った。そしてクイーンも。
その昔はドラマ「プライド」も見ていたので、ある程度の曲は知っていたが、映画のタイトルにもなった「Bohemian Rhapsody」はこの時初めて聞いた。
序盤のピアノ、懺悔するような歌い出し、ガリレオのコーラスで追い討ちをかけられ、激しい曲調に変わるも、最後はピアノで切なくしめやかに曲が終わっていく。1つの物語のような曲に影を潜めていた中二病が唸りだした。そこからは狂ったように聞いた。確かレッドツェッペリンの「天国への階段」と繰り返し聴いていたんじゃないだろうか。
カラオケに行く機会があれば下手な英語で「ママ〜」とかのたまわっていた。しかも部活仲間と行くカラオケだ。突っ込むとややこしくなると思われていたのか、良くも悪くも反応はなかった。思い返せば申し訳ない。
その時は特段反応は求めてなかった。それは確かだが、深層心理では誰かに認めて欲しかったのかもしれない。だからカラオケでわざわざ歌ったのかもしれない。それでも大した反応はなかった。それでもいいと、無意識ながらと自分に言い聞かせながら細々とクイーンを聴き続けた。そんな高校時代だった。

翻ってこの現在。今の世の中。クイーン再燃真っ盛りだ。昔から好きだろうが今好きになったんだろうが関係ない。クイーンを歌えばどこからともなくレスポンスが返ってくる。
なんだなんだこれは。僕の鬱屈とした高校時代はなんだったんだ。
噛み砕けば「ボヘミアン・ラプソディ」に対する僕の反発はこんなしょうもない理由なんだと思う。くだらない。しょうもない建前はさっさと置いて今こそママ〜と歌えばいいではないか。
そんな器用に生きていけるならブログなんて書いていないのだ。


「インディーズバンドがメジャーに行っちゃった感じ?」
クイーン再燃に対する謎の怨念について、ちょっと愚痴ったらそう問われた。
違う。そんなにありきたりじゃないし、もっと下らなくて愚かな理由だ。きっとわかってもらえないだろう。
でも本当はわかってほしいし、認めてもらいたい。
自分の中にある、認めざるを得ない幼稚なエゴだ。
本来人様にさらけ出すものではないが、あえてこの文章をブログに書き殴り成仏させてみようと思った。ただ土に埋めてみるような行為ではない。むしろメッセージボトルを海に流すような心境だ。目に見える反応がくれば嬉しいが、そこまでは望むまい。
それでもインターネットの海を泳いだ果てに、誰かの感情に爪痕が残っていくことを密かに願う。