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日々の備忘録程度にのんびりやっていけたらなと思ってます。

三十路が始まる。

 「三十路」という言葉を初めて聞いたのは、フジテレビあたりの恋愛ドラマをみたときだったような気がする。
「もうすぐ三十路でしょ〜恋愛しないと!」的な啓発のセリフだったと思う、今のご時世でも見かけそうだが時代に合わなくなった概念でもあるように感じる。

 メインキャストのほとんどが1993年生まれのドラマ「コントが始まる」もまた、行間で「三十路」という概念を匂わせてくる作品だ。社会的に大人と認められるのは20歳を迎えた時だけど、そこから始まる10年間で合格と脱落の基準が曖昧なイニシエーションを受け、30歳で後戻りできない「オトナ」になってしまう。20代後半に入ると、30歳という時点がその前後を大きく分ける巨大なマイルストーンのように見えてしまうのだ。

 春斗たちが「マクベス」を結成するのは、高校時代。現実と非現実で見たもの、聞いたものから世界の解像度が一気に上昇する時期で、「大人の自分」を想像するには隔たりが遠すぎる。前向きでも後ろ向きでも柔らかい全能感に包まれている時期ではないだろうか。
 学校を離れて社会に触れると、思うように届かない壁、本当に道理的に正しいかわからないけど向き合わざるを得ない仕事が増えてくる。しかも、早熟な同世代が次々と頭角を現す。こうした過程は古今東西で頻繁に見られる風物詩のようなものだけど、今はネットがあるし、成功の定義が広がっただけにタチが悪い。各方面で同世代が称賛を浴びている瞬間だけ次々と飛び込んでくるし、実態が伴っているかわからないけど甘美な提言、価値観が洪水のように押し寄せてくる。時代の要請に伴って太鼓判を押され、ぐんぐん伸びて複雑に絡み合った「個性」は、社会という荒波(安直な表現だけど)に揉まれて流木のように丸くなっていく。

 1993年生まれが今迎えている「28歳」はなんというか、危うい時期だ。「27クラブ」という概念もあったけど、解像度が上昇する一方だった世界が馴染んできて、停滞する感覚、全能感が薄れていく感覚がある。今夢中になっているものがあればいいし、すでに何かしら人生の達成感を覚えてしまうことにも良い面があるのかもしれない。だけど、まだ何者にもなれていない感覚を抱えてしまうと、退路が見えてしまう。もう区切りをつけて別の道を歩むべきか、理想を捨てるべきか、社会に迎合するべきか、諦ることで得られる安定(それすら霞んでいるけど)が魅力的に見えてしまう。30歳まであと2年、今ならやり直せるかもしれない。本当は、「1年」という期間なんてものすごく一瞬で過ぎてしまうことは知っているけれど。

 ま、じゃあどうすればいいかなんて自分にはわからない。答えは人ぞれぞれだし、選択が正しかったのかジャッジするので自分自身、ジャッジできる根拠が見つかるのはきっと先の話だ。よく「後悔しないような選択を」と言われるが、どんな道に進んでも何かを捨てる以上後悔は絶対残る。選んだ道で拾い集めるのは、別の道を選ばなかった言い訳なんじゃないだろうか。

 
 ドラマの感想というには自分語りが過ぎるけど、同世代としてはこんなことを思った。もっと楽しいことだったりフワフワしたこと書きたいな。