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日々の備忘録程度にのんびりやっていけたらなと思ってます。

多幸感をもたらす音楽について

日曜日は急遽仕事が入り、休日が潰れてしまったので本日が代休。
 予定はないが平日の休みは幸せだ。世の中的には普通に働いている日だから対比、で幸せなんだろう。林家正蔵はとある番組で「世間様に申し訳ねぇ」と言いつつ一杯やるらしいが、要はそういうことなのかもしれない。
 もう随分晴れ間を見なかったが、今日は久々に晴れていたので隅田川沿いを歩き回りながら好きな音楽を聴く。こうしていると考え事も捗る気がする。哲学の分野には逍遥(散歩)学派という形態があるそうだが、この時代において自分が思いつくことなど、大抵は先人がいるものだ。前人未到の領域はやはりインターネットの中にある。そう思いたるにはまだ気が早いだろうか。
 歩き疲れて立ち寄った蔵前の喫茶店で久しぶりにレモンスカッシュを飲んだ。語源とは関係ないそうだがスカッとするな。ちなみにスカッシュの語源は「握りつぶす」という英語の動詞、squashから来ているんだそうで。さいですか。

・多幸感について
 音楽が好きだ。好きなジャンルは色々とあるので、今後も触れていくことはあると思うが、自分が音楽に何を求めているのかというと、「多幸感」であることが多い。一言「多幸感」といってもその本質には色々ある。浮遊感だったり、救われる感じだったり、トリップする感じだったりチルだったり、物語的というかドラマ的なものもある気がする。それぞれに共通する感覚が多幸感であることに違いはない。

 それぞれの多幸感について、象徴的な曲を挙げつつ考えてみたい。
 残念ながらちゃんとした音楽の知識が乏しく、専門的な言葉を使えばもっと端的に表現できる部分も多々出てくるだろう。
 色々勉強しないといけないと思わされてばかりだ。

 まず「浮遊感」について。
 これはperfumeの曲なんかがわかりやすい。
 3rdアルバム「⊿」に収録されている「zero gravity」は初っ端からタイトル通りの無重力感で、初っ端から浮きっぱなしだ。
 2番が終わってから入る間奏は、音程をぐにゃぐにゃいじる部分。ライブの映像でも確認できるように、振り付けでも旋回しているかのような、フニャフニャとした遊びの飛行をしているように感じられる。こういう無重力を自由自在に操れるような余裕というか、非日常感が多幸感につながっている。

Zero Gravity

 

 続いてシングル「ポリリズム」に収録されている名曲「SEVENTH HEAVEN」を挙げてみる。天国の最高位を意味する言葉と好きな人への思いと絡めた歌なのだが、こちらは最初から浮遊しているというよりは引き上げられる感じだ。サビに入る直前、まさに天にも昇るような気持ちが歌詞に表現されていて、歌い方も一定の音程を保っていたところから徐々に上がっていく。多分この感じが引き上げられる感覚を助長しているような気がして、サウンドも一定のリズムを保ちながら音程が上がって来ている。何かに引っ張られるというより体がふわりと浮くかのような、そのまま天国へ召されていくような多幸感がある。まぁ歌詞でも思い切りわかりやすく説明してくれているのでいうまでもないという感じなんだけど。
 

Perfume SEVENTH HEAVEN

 ちなみに「浮遊感」の亜種的な多幸感に「夢心地感」があると思っている。これについては後述で。


 続いて「救われる感じ」について。実は今日歩きながら思いついた表現だ。
 その時聞いていたのは、アニメ「SHIROBAKO」の1期エンディングテーマ、「Animetic Love Letter
 以前ラジオで星野源が「土曜の夜感」と表現していたはずなんだけど、これには本当に同意というか、初めてラジオで聞いた時にめちゃくちゃハッとさせられた。同アニメを見始めた当時も翌日が休日だったので、そういう高揚感は覚えていたんだけど、なんで「フライデー」じゃなくて「サタデー」なのかということが意外と大臣じゃないかと思ったりする。「フライデーナイト」というと、Katy Perryの「Last Friday Night」のような、Thank you God It's Friday的なハイなイメージが普遍的にあるような気がする。仕事や学校終わり、同僚や友人とハメを外すイメージ。一方のサタデーは、もう少し落ち着きがある気がするんだよな。加えて控えている日曜に思いを馳せワクワクする時間。悲しいかな日曜が来ると寂しくなるけど。


Animetic Love Letter - 桃井はるこ

 そしてなぜこの曲に救われるのかといえば、大サビの後ろで鳴っている鐘の音がその理由でしょう。宗派のある学校に通っていたわけでもなし、自分の人生において宗教から強い影響は受けていないけど、やはり鐘の音には福音的なものを感じる。あと祈りのポーズにも救済の印象を抱くことは多い。ももクロの「サラバ愛しき悲しみたちよ」に出て来る祈りのシーンとか。こう考えると音楽の中では結構単純なシーンにシンプルに多幸感を覚えることが多いのかもしれない。

【ももクロMV】サラバ、愛しき悲しみたちよ / ももいろクローバーZ(MOMOIRO CLOVER Z/SARABA ITOSHIKI KANASHIMI TACHIYO)


 次は「トリップ」。これはやっぱり電子音楽にもたらされることが多い。一瞬電気グルーヴの「Shangri-la」が頭をよぎったがそういうのではなく、もっと単音の数が多くて圧倒されるうちにトリップするような、なのでTempalay的なサイケ感ともまた違う。とはいえサイケ感も1つの多幸感だろう。これは揺るぎない。
 例えばPSYQUI「Still in my hear feat. ぷにぷに電機」とか。というかPSYQUIの曲は高確率でこの枠に入って来る。一方でボーカルはゆっくりとした歌い方をしている場合が多くてこのギャップがなんというか一段といい感じ。yunomiの曲も全体的にこのトリップ感に近い感じあるな。つまるとこfuture bassということだ。ちなみによくいう「kawaii」も個人的にはこの枠。「かわいい」を愛でるようなニュアンスで用いるならば、「kawaii」はトリップというような区別がある。

PSYQUI - Still in my heart feat. ぷにぷに電機 // Lyrics [CC]


 電子音から得られる多幸感ということで登場するのが、前出の「夢心地感」。こちらはUjico*/Snail’s House「Lullaby」なんかかなりいい具合に特徴的だ。スーパーマリオ64「かいぞくのいりえ」もこのジャンルに入ると思っている。だいぶ水中の印象は強いけれど、これは幼い頃にゲームをプレイしていた刷り込みもあるかもしれないし、まぁそもそもが水中をイメージした曲だからな。とはいえかなり夢心地感がある。のんびりしていると体力削られて死んでしまうんだけども。

Snail's House - Lullaby


スーパーマリオ64 BGM - かいぞくのいりえ


随分長くなってしまったのでここで一度区切ることにします。